没後60年、いまいちどカーソンの目と耳を
原 強
1 レイチェル・カーソンの「没後60年」
レイチェル・カーソンは、アメリカの海洋生物学者で、1907年5月27日に生まれ、1964年4月14日に亡くなりました。今年2024年は、レイチェル・カーソンの「没後60年」の年ですので、私たちは、いまいちど、その生涯や業績を考える機会にしたいと考え、4月14日に「記念のつどい」の開催、読書感想文コンクールの企画など、いろいろな取組みをすすめています。
彼女は、私たちにたくさんのことを残してくれました。著作物としては、『潮風の下で』、『われらをめぐる海』、『海辺』という、海にまつわる三部作に加え、化学物質による環境汚染についていちはやく警告した『沈黙の春』、自然とふれあう喜びを語った『センス・オブ・ワンダー』があります。それに、その講演や各種の原稿などを収録した遺稿集『失われた森』が、彼女の伝記をまとめたリンダ・リアによって世に送り出されています。
私たちは、これらの基本的な情報を『13歳からのレイチェル・カーソン』という出版物にまとめて、みなさまに活用していただいています。
彼女の生涯や業績をみるとき、彼女が「科学者の目」と「詩人の感性」をあわせもっていたことに気づきます。彼女の「没後60年」にあたっても、あらためてそれに注目し、そこから学びたいと思っています。
2 この60年の間に何が
さて、この60年の間に何があったでしょうか。
60年というととても長い時間です。30年で一世代とすれば、二世代ということになります。実にいろいろなことがありましたが、私がとくに気になることをいくつか拾い出してみます。
(1)「環境問題」に直面することになった
まず、「環境問題」が問題になりはじめ、いまやとても深刻な問題になっています。
60年前には、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、「公害」が問題になっていました。これらの公害問題が本当に解決したわけではないのですが、こんにち、気候変動(地球温暖化)、大量廃棄社会の進行、化学物質汚染の深刻化、生物多様性をめぐる問題、原発の開発・実用化と繰り返された巨大事故、高レベルの放射性廃棄物の処理など、あらたな環境問題に直面しているのです。
あまり単純に図式化出来ませんが、「公害」は発生源が特定され、その影響は地域的に限定去れ、被害者も特定されるのですが、「環境問題」は発生源が特定しにくく、その影響は地域的にも、時間的にもとても広範なものになる、また、加害者と被害者の区分もしにくい、と説明されています。したがって、対策を考える場合も、「公害」の場合は発生源をおさえれば良いのですが、環境問題の場合は簡単ではありません。
(2)人口問題、それにともなう食料問題
それから、人口問題と、それにともなう食料問題も大事な問題です。
世界の人口は、先進国では停滞傾向にありますが、アジア、アフリカでは増え続けており、いまや、世界の人口は80億(81億に接近中)から90億にむかい、さらにどこまで増えていくのか、わかりません。60年前は30億前後でしたから、びっくりするような人口増です。
こうした人口増にみあった食料が確保できるのか、とても気になるところです。
ただ、日本の人口は、はっきりと減少局面にあり、いつ1億人を下回るかが問題になっています。他方で、日本の食料自給率37~38%で、先進国では異常な数字です。
(3)日本は「先進国」になったが、いまやその地位を失いつつある
60年前、日本は戦後の復興期から高度成長期を迎えていました。そして、80年代には「ナンバー1としての日本」といわれましたが、いまや、「先進国」といえない状況になりつつあります。もっとも、何をもって「先進国」というのかもむつかしい問題で、国民の幸福度とか、住みやすさということから評価指標をもつべきだとも言われています。
このほか、戦争と平和をめぐる問題についても「あらたな戦争前夜」ということが言われています。
3 「これからの時代」を見る目、感性を、カーソンから学ぼう
このようななかで、私たちはどこにむかっていくのでしょうか。
たとえば、つぎの問題を考えてみましょう。これらの問題は、私が、ふだん、市民団体の立場で考え、取組んでいることなのですが、どれも一筋縄ではくくれない難問ばかりです。
・気候変動 2℃以上の気温上昇まですすむのか
・原発復帰にすすむのか、原発ゼロに向かうのか
・循環経済社会は実現するのか
・人口減少社会にいかに対処するのか
私は、これらの問題をとらえ、「これからの時代」を見る目、感性をもつことが問われていると思うのですが、その際、カーソンから学ぶことが重要だと思っています。
すなわち、彼女は「科学者としての目」と「詩人の感性」をあわせもっていたといえますが、彼女の行動、著作物などからそれを学びたいと思っているのです。
『沈黙の春』は、DDTなどの農薬・殺虫剤の問題をとりあげるにあたって、それが生態系、そこに生きる生きものたち、さらに人間の健康などに及ぼす影響についての調査研究の成果を徹底的に調べ、それを積み上げる中で、彼女の結論を組み立てていったのです。
そのとき、彼女は「人間だけの世界ではない。動物も植物もいっしょにすんでいるのだ」という生態学者としての目と感性をもとに個々の事実・データを評価し、判断していったのです。
つまり、私たちが目の前の問題を考えるうえで、いうまでもなく、客観的な事実、最新の科学的知見を大事にすることが重要なのです。そのために市民としても出来る限り客観的な事実、最新の科学的知見を身につけるための学習や努力が不可欠です。時には、市民として「知る権利」を主張して、隠された事実やデータを手にするための取組みも求められるでしょう。
グレタ・トゥンベリさんがいつも「科学者のいうことに耳を傾けなさい」と訴え続けたことは大事なことだったと思います。カーソンも『沈黙の春』で「負担は耐えねばならぬ。とすればわれわれには知る権利がある」との言葉を引用しています。
同時に、客観的な事実、最新の科学的知見とされることを正しく評価し、判断する、私たちの価値観、感性、さらには人間性ということが問題になるわけです。
目の前の経済的利益を追い求める「経済の論理」ではなく、生態系、そこに生きる生きものたちのひとつひとつの小さな生命を大事にする「生命の論理」をもとに考え、行動しなければならないのです。そのためにも、レイチェル・カーソンが大事にした「センス・オブ・ワンダー」を思い起こし、日々の努力で磨き上げていくようにしたいものです。
※6月22日のなごや環境大学の講義のために準備したものをそのまま掲載しています