· 

2025年を『センス・オブ・ワンダー』論を深める年に

2025年を『センス・オブ・ワンダー』論を深める年に

 

 『センス・オブ・ワンダー』は、カーソンがある雑誌に書いたエッセイをもとに、彼女が亡くなったあと、友人たちの手で写真付きの出版物になりました。

1991年に日本語訳が出版されて以来、日本でも多くの読者を得てきました。

2001年には翻訳者の上遠恵子さんがメインの別荘や周辺の森や海辺で朗読する形式の映画になり、全国各地で自主上映されました。

『センス・オブ・ワンダー』は、新潮社から単行本で出版されてきましたが、2021年には福岡伸一さんなどの解説・エッセイつきの新潮文庫になり、また、新たな読者を得ています。

 

カーソンは、だれもが生れつき持っている、「センス・オブ・ワンダー」をいつまでも新鮮にたもちつづけることの大切さを説いています。

この「センス・オブ・ワンダー」という言葉が、カーソンを考えるうえでのキー・ワードになり始めていますが、この言葉の意味をどうつかむのか、とてもむつかしいようです。

上遠恵子訳『センス・オブ・ワンダー』なかでは、「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」と日本語訳されていますが、最近出版された森田真生著『センス・オブ・ワンダー』では、「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)」と日本語訳されています。

 

「センス・オブ・ワンダー」という言葉をどのように理解すればよいのでしょうか。

カーソン自身が、「センス・オブ・ワンダー」という言葉について解釈の幅が生れないような定義をしていればよかったのですが、そのような定義づけや概念説明がされているわけでもないようです。したがって、実際には、読者、論者それぞれの理解が成り立つ、相当幅がある用語・概念とうけとめなければならないようです。

 

2000年代になって映画『センス・オブ・ワンダー』上映運動のなかで『センス・オブ・ワンダー』の読者が一気にひろがり、それぞれの生活体験を重ねて「センス・オブ・ワンダー」がそれぞれに論じられるようになりました。

 

1999年から2000年にかけて行われたレイチェル・カーソン日本協会の読書感想文コンクールの入選作品のなかに「『センス・オブ・ワンダー』いとをかし」という、カーソンと石牟礼道子を並べ、さらに清少納言の『枕草子』のイメージを重ねて論じた作品がありました。私にとってとても印象深かった作品でした(この作品はレイチェル・カーソン日本協会会報第25号に収録されています)。

 

カーソンと石牟礼道子は相通じるものがあることは以前から認識していたのですが、『枕草子』との共通項を指摘されたのは驚きでした。しかし、よく考えてみると、「なるほど、そうか」と思うところがある指摘だと思いました。

たとえば、この作品で引用された「月のいと明きに、河を渡れば、牛の歩むままに、水晶などのわれたるやうに水の散りたるこそ、をかしけれ」などはとても面白いもので、それ以来、「センス・オブ・ワンダー」と『枕草子』の関係についてはずっと頭の隅に残っていたことです。

 

一昨年から昨年にかけて出会った新美南吉の作品との関係で「センス・オブ・ワンダー」を考える機会がありました。新美南吉という作家、その作品についてはほとんど認識していなかったので、新美南吉記念館の取り組みには学ぶことがとても多かったように思います。

新美南吉には「センス・オブ・ワンダー」を考えるうえでとてもよい作品が多数あるのですが、「手袋を買いに」の書き出しなどは「センス・オブ・ワンダー」そのままといえるものです。

もうひとり、宮沢賢治のことも思いだしました。宮沢賢治の初期童話にみる豊かな感性も「センス・オブ・ワンダー」と通じるものがあるといえます。

こういうなかで、「センス・オブ・ワンダー」論が新たなステージへという感想を持ち、カーソン、宮沢賢治、新美南吉をつないで考える機会がもてないかとも思ったところです。

 

私は、一昨年の春から日本古典文学を再読しはじめており、「センス・オブ・ワンダー」論のひろがりとの関連で、いろいろなことが言えるのではないかと感じてきました。

日本古典文学では、美しいものを美しいものとして愛で、四季の移ろいを深く味わうということを大切にしていますが、ここに「センス・オブ・ワンダー」論を重ねたらどうなるのだろうということも考えるようになりました。

宿題であった『枕草子』との関係も議論の対象になるようです。前記のような「センス・オブ・ワンダー」と『枕草子』の「をかし」という感性の共通項を探ってみるのも面白いのではないかと思います。

俳句という「5・7・5」の短詩の世界も「センス・オブ・ワンダー」の世界そのもののように感じています。あなたの感じた「センス・オブ・ワンダー」を、俳句や短歌などの形式で、言葉で表現してみようというワークショップも面白いものがあります。

 

2025年はレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』出版60年の年です。

レイチェル・カーソン日本協会関西フォーラムでは、5月18日、「レイチェル・カーソンのつどい2025」を「『センス・オブ・ワンダー』出版60年記念」行事として企画し、この機会に「センス・オブ・ワンダー」の意味について様々な角度から考え、理解を深め合うことをめざしています。今回の記念行事では、

・報告1 レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」

浅井千晶・千里金蘭大学教授

・報告2 宮沢賢治の「センス・オブ・ワンダー」

       鵜野祐介・立命館大学教授

・報告3 新美南吉の「センス・オブ・ワンダー」

       遠山光嗣・新美南吉記念館館長

というプログラムで、カーソン、宮沢賢治、新美南吉をつないで「センス・オブ・ワンダー」について意見交換をすることを予定しています。

 

 この「つどい」を出発点に、この1年、おおいに『センス・オブ・ワンダー』論を語り合いたいと思います。 

  (原  強)