読書感想文コンクール優秀賞作品
<優秀賞>
私にとっての『沈黙の春』
杉原久美
私がまだ子供であった時に一度読んだことのある『沈黙の春』を再び読んでみようと思ったきっかけは、新聞でのレイチェル・カーソンの特集記事を目にしたからである。その記事は六月の環境月間に合わせて書かれた記事であった。さっそく、図書館で本を借り、通勤の電車内や空き時間に少しずつ読み進めた。いちどは読んだ記憶はあるものの、随分と前で憶えているのは化学物質による環境汚染がどれほど恐ろしいものであるかという事と読後のなんとも言えない不安感だ。今回読み直してみて分かったことは、レイチェル・カーソンは、化学薬品の乱用の恐ろしさを緻密な調査や数値に裏打ちされたデータに基づいて警告したに停まらず、いかに自然と共生していくべきか具体的な方策についても言及している点である。今年がレイチェル・カーソン没後六〇年であるが、それほど前に自然環境について深く考え、警告を発していた事に改めて驚かされた。
およそ二年程前、実家の父が亡くなり、これまでは父がほぼ一人でしていた家庭菜園畑を、母一人では大変だという事で週に数回程手伝うようになった。これまでに夏野菜の苗を植える時など、少し手伝ったことがあった程度である。実際に畑を耕すとなるとしっかり足を踏ん張ってしているにも関わらず、腰が痛くなるし、雑草や虫の勢いに圧倒されるばかりである。昨年の夏は初めて枝豆とサツマイモを栽培しようと試みた。なぜなら家族の好物だから。栽培方法を本やネットで調べつつ枝豆は種を、サツマイモは苗を植えた。枝豆は畑に直接種をまいたのだが、鳥対策として不織布で覆った。何日か経って不織布越しにのぞいてみるとかわいい緑の葉っぱが顔を出していて思わずやったーと心躍った。その後も順調に成長し、鞘がどれくらい膨らんだら収穫最適期か判断が難しかったが、試しに収穫し、塩ゆでして食べたらそのおいしさに大満足した。一方、サツマイモはつるがぐんぐん成長し、いわゆるツルぼけ状態となってしまった。秋に掘り起こしてみると案の定芋の数も少なく小さかった。戦時中の食糧難に栽培されていたくらいだからきっと簡単に作れるのではと安易に考えていたのが間違いであったと気付かされた。
それから一年後の今年、新たにモロヘイヤとトウモロコシにも挑戦した。どちらも種を蒔いたのだが、モロヘイヤの種がごまつぶくらい小さい事をはじめて知った。種蒔きして数日後、小さな芽が出てきた。とても頼りなげで、これから大きく成長するのか心配だったが、暑さに強い植物らしく、夏の日射しを大いに浴びて日々大きくなり、若い枝先を収穫してもまた数日で成長して収穫できるまでになった。一方、トウモロコシも順調に育ち、茎もびっくりする程に太く育った。そのうち実が膨らんで来た頃、見ると実の一つが嘴のようなものでつつかれているのを発見した。カラスか鳥の仕業であろう。すぐに身を布で覆ってみると功を奏しその後の被害はなくなった。無事に収穫できた実を圧力鍋でふかして食べるととても甘みの強い美味しさにこれまでの努力が報われたと感じた。
色々な野菜を栽培する中で、例えばトウモロコシにはアリが沢山来たり、しその葉にはバッタが来たり、他にも畑にはダンゴムシやコオロギなど沢山いて“私も虫達と一緒の時を生きている”そんな不思議な感覚になったりもする。薬を使わず育てていると葉っぱも穴空きになるけれど、少し寛容な目で見ると虫達も命を一生懸命生きているのだ。
今年の夏は例年以上に暑い日が続いた。異常気象が一時的な現象でなくなってきつつあり、今の地球は課題が山積みだ。今一度、人間だけの地球ではないという認識を持ち、虫や鳥や生き物との共に生きるということを考えながら日々の生活を送りたいと切に思う。
(京都市)
<優秀賞>
命の不思議
舟生真純
高校生のとき従兄を事故で亡くした。人生これからという時に、と大人が嘆いた。私は可哀想だという大人の言葉になぜか反発を覚えた。可哀想だと思って欲しくないと思った。なぜそんな風に思ったのか分からなかった。悲しみとも違う、漠然とした苦しさと不安が心のどこかに残った。
大学生になった私は、星を見上げるようになった。星を見上げると、生きていることの不思議に心が静まる。思考が止まって、ただ自分自身も自然の一部になったような感じがする。気持ちが不安定になることが多かったその頃、ただ見上げるという時間が必要な時間になっていった。
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を読んだのは、大学4年生の時だった。プラネタリウムで働くことになった私に、無添加製品を扱う会社に就職が決まった友人が勧めてくれた。同じくカーソンの、環境汚染への警告を伝えた著書『沈黙の春』と合わせて、入社までの必読書とのことだった。きっとプラネタリウムの仕事にも必要だと友人が言った。
タイトルの「センス・オブ・ワンダー」とは、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見張る感性のことだ。その大切さが、数々の美しい言葉で綴られたエッセイとなっている。忙しい日々の中で、多くの人が自然の神秘を見つめることを忘れてしまう。「夜明けや黄昏の美しさ、流れる雲、夜空にまたたく星」など、文中に出てくる言葉の一つ一つが地球に生きていることの喜びを教えてくれる。空を見上げるだけで、自然につながることができると改めて思うことができた。
壮大な自然に対して抱く畏敬の念だけではなく、どこにでもある小さな自然についても触れられている。「風の音、顔をうつ雨、鳥の渡り、小さな鉢植えにまかれた一粒の種子」、誰もが目にしているのに、その不思議さに目もくれないもの。そんな小さな自然に気づくことが、生きることの喜びに繋がっていく。
レイチェルの甥の幼いロジャーが自然の中で過ごす描写が、幼い頃、従兄と過ごした日を思い出させた。庭で遊んでいるその日の様子は、ビデオに収められて残っている。汗と泥にまみれながら走り回り、虫を見つけて飛びつく。庭の水道をひねって、飛び散る水にきゃあきゃあと笑う。
遠方に住んでいた従兄と、遊んだ記憶は少ない。それでも、たったその一日を切り取っただけでも、いきいきとした生命の喜びにあふれている。土の匂い、虫を見つけた驚き、太陽の下で走り回る興奮。この自然の中に存在したこと、命の不思議に満ちた瞬間があったことが、生まれた意味であると思いたい。仕事で成功することや、結婚すること、何かを達成することが人生の目的ならば、それは苦しいと感じていた自分に気づいた。心につかえていたものが自然と消えていった。
初めて、レイチェル・カーソンの本に出会ってから二十年以上の時が流れた。私は今もプラネタリウムで星の解説をしている。仕事で迷った時も、今もセンス・オブ・ワンダーが私の心の指針となっている。星を見上げることで、生命の不思議、地球の大切さに気付いて欲しいという思いで話をしている。勤務先には、小学生から大学生まで、子どもや若者も多く訪れる。
プラネタリウムの投影の後、座席で泣きながら、ありがとうと言った生徒がいた。かつての私のように、やり場のない思いや、とめどない疑問に閉ざされてしまった思春期の心。星の話をすることで、少しでもその気持ちをほぐすことができたらと思う。地球の自然と神秘を見つめることの大切さを、私自身がセンス・オブ・ワンダーを忘れることなく、伝え続けていきたい。
(東京都)
<優秀賞>
未来をはかれるものさし
伊藤 環
森で初めてキビタキを見た日、そのキビタキは私のすぐ近くにとまり、バードコールにこたえて鳴いたのです。森は静かなのに、心の中がとても騒がしくなりました。鳥は動物園やテレビでも見られますが、自然の中で本物に出会えた感動は全く違うものでした。それはきっとキビタキと私が自然の中で対等だったからです。キビタキは選択できる世界で私のそばに来てくれました。自然の中では私たちは同じ一つの命です。それまでも生き物が大好きでしたが、私には自然が必要なのだと思いました。これからもずっと。
私はレイチェルの本で「除草剤」という言葉に出会いました。除草剤が何か調べてみると、草を枯らす薬だとわかりました。教えてもらって見渡すと、周りには除草剤で茶色く焼けたようになった道ばたや畑やあぜが沢山ありました。商品やネット上には「使い方を守れば安全」と書かれていますが、影響の少ない生き物の調査結果だけを見てそう判断してよいのでしょうか。使う人の気持ちもわかりますが、使うひとは自分のためのものさしだけで決めていないでしょうか。レイチェルは「地球は人間だけのものではない」といっています。私たちは多くの生き物の存在とその未来に目を向けて、今何を選択するべきか考える必要があります。
大自然に行かなくてもセンス・オブ・ワンダーがあれば、身近な場所ですばらしい出会いがあります。「除草剤を使わないで」というお願いより、自然を対等に愛する気持ちが行動を変える力になると思います。
レイチェルが世界の人に除草剤の危険性を知らせてから約六十年がたちました。除草剤は使われ続けていますが、まだ鳥は私に声を聞かせてくれるし、森や海でたくさんの生き物に出会えます。すべての人が除草剤を手放す日はすぐには来ないかもしれませんが、今ならまだ間に合うはずです。
自分の幸せだけでなく、未来の地球の幸せをはかれる大きなものさしを持ちませんか。
(新潟県。小学4年。)
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