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小林秀雄の「DDT」

小林秀雄の「DDT」

 

『センス・オブ・ワンダー』は『沈黙の春』とならびレイチェル・カーソンを代表する作品として親しまれてきた。新潮社から出版された単行本によって、読者は上遠恵子さんの翻訳と森本二太郎さんの写真で「センス・オブ・ワンダーの世界」を楽しむことができたのである。

昨年(2021年)9月、この『センス・オブ・ワンダー』の新潮文庫版が出版された。今度は川内倫子さんの写真が使用されたが、同じように「センス・オブ・ワンダーの世界」を伝えてくれるものである。また、後半に「私のセンス・オブ・ワンダー」として福岡伸一さん、若松英輔さん、大隈典子さん、角野栄子さんのエッセイが収録され、それぞれの「センス・オブ・ワンダー体験」などを楽しむことができるものになっている。「レイチェル・カーソンの生涯や業績を語り継ぐ」活動をすすめる立場にあるものとして、早速、新潮文庫を買い求め、ページをめくった。

 

福岡さんのエッセイでは、昆虫少年が生物学者になり、やがて「ナチュラリスト」に成長する過程での「センス・オブ・ワンダー」体験とともに、カーソンが『沈黙の春』の著者としていまなおネット上で攻撃・非難されている現実があることを紹介しながら、「カーソンをために非難すること。それは科学的に間違っているばかりでなく、悪意に満ち、そして醜い行為なのである」と批判していることなど、興味深く読んだ。

福岡さんに続く若松さんのエッセイを読みすすみ、小林秀雄の「DDT」についてのエッセイに論が及んだところで息を止めることになった。

「えっ、小林秀雄がカーソンを論じている?!」

若松さんによれば、「『沈黙の春』の日本語訳が刊行されたのは一九六四年六月、小林がこの作品を新聞に寄稿したのは同年の十月である」というのである。

私は、これまで『沈黙の春』をめぐってさまざまに論じてきたのだが、小林秀雄の「DDT」に関する情報にふれることはまったくなかったので、驚き以上のものであった。適切なたとえかどうかわからないが、ノーマークの選手にいきなりミドルシュートで点をとられたような気がした。「文芸評論家」として知られる、あの小林秀雄が、『沈黙の春』が日本語に翻訳されると同時に紹介記事を書いていたとは!

若松さんもこの記事がレイチェル・カーソンを初めて知るきっかけになったという。知る人は知る情報だったのだろうが、こんな大事な情報をいままで知らずにいたのか、と恥じ入った次第である。

 

若松さんの記事をたよりに、『小林秀雄全作品25 人間の建設』(新潮社刊)を手にすることになった。ここには1964年から1965年にかけての小林秀雄の著作が収録されているのだが、このなかに「DDT」と題するエッセイを見つけることができた。この『小林秀雄全作品』のシリーズでは脚注が丁寧につけられており、このエッセイは「朝日新聞」に発表されたものだという。このエッセイには5ページがあてられているが、エッセイそのものは短いものだ。しかし、その短いエッセイのなかで『沈黙の春』が何を問いかけたのかについて見事に語っている。

小林秀雄がどんな動機でこのエッセイを書いたのかはわからないが、カーソンと『沈黙の春』を日本社会に紹介した、このエッセイの役割はとても大きかったのだろう。カーソンと『沈黙の春』がどのようにして日本社会に受容されてきたのかを考えるとき、小林秀雄の「DDT」は忘れてはいけない著作物として、いまあらためて銘記したい。

 

 私は『「沈黙の春」の50年』(かもがわ出版刊)の第5章「『沈黙の春』を読み、語り継ぐ」の「1 『生と死の妙薬』」で、『沈黙の春』がどのように日本に紹介されたのかについて、以下のように情報提供をしている。

 

 『沈黙の春』の最初の読者集団といえば、1962年に出版された『沈黙の春』を出版直後、アメリカ滞在中に手にし、原書で読んだ人たちということになります。たとえば、立川涼は「米国にいたとき、ケネデイ暗殺の直後に、知人からもらった。帰国後、研究室でデスマッチと呼ばれるほど熱心に輪読した」といいます。綿貫礼子もキーポン事件の現場を訪れるため、ボストンからニュージャージーにむかったとき、「かつてこのあたりに住んだことがあり、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』をむさぼり読んだ日々を想い出していた。1962年頃のことである。」と記しています。環境問題の先駆者、オピニオンリーダーといわれる人たちのなかには、このような人が少なくないのでしょう。

 『沈黙の春』の日本語訳が出版されたのは1964年のことです。訳者は青木簗一で、最初の日本語訳の書名は『生と死の妙薬』でした。この本は、アメリカで出版されたときのように、爆発的に売れたわけではありませんでしたが、農業関係者や農薬関係者のなかでは必読すべき一冊であったということができます。

 『沈黙の春』は、『生と死の妙薬』として出版される前に、まず「リーダーズ・ダイジェスト」1963年2月号において「タイムからの要約」として紹介されました。この記事は「多くの科学者がこの著者と強く異なった意見をもつ」理由をのべようといっているように、むしろレイチェル・カーソンを攻撃するような立場のものでした。

つぎに福島要一が「科学」64年5月号の「新刊紹介」で『沈黙の春』をとりあげています。ここで福島要一は「本書の基本的なねらいは、近年急激に使用されるようになった殺虫剤などの、直接毒性ではなく残留性毒性に人の注意を向けようとしたことであり、またその毒性残留の結果として、自然循環の破壊の恐るべきことを指摘した点が特徴的である」「諸外国では全く使用されない、有機水銀剤のわが国における大量使用の実態を、このような本によって、われわれ自身が反省するべきだ」と強調しました。さらに福島要一は「科学」64年8月号掲載の「農薬問題を如何に受けとめるか」という論文において、このような問題意識についてあらためて論じている。その後、福島要一は『あすのための警告』『農薬も添加物のひとつ』などで、自説を展開していくのです。

 

 

 今回、小林秀雄の「DDT」というエッセイが存在することを知った以上、福島要一に関する記事のあとに、この情報を付け加えなければならないと思っている。

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