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「3・11」から10年(2)

1 巨大地震と大津波

 

「3・11」(東日本大震災)は巨大地震とそれにともなう大津波、さらに福島第一原発事故が重なり合うという、災害史に残る「複合災害」でした。

まず、巨大地震と大津波です。

日本列島は「地震列島」といわれます。それは、日本列島が4つのプレート(地球を覆う岩盤)、すなわち、太平洋プレート、北米プレート、フイリピン海プレート、ユーラシアプレートがぶつかりあう位置に存在しているために、プレート境では一定の期間ごとに海溝型地震が発生するのです。そのうえ内陸部でも活断層のはたらきによる内陸型地震が発生することもあわせ、日本のいたるところで頻繁に地震が発生する条件があるからです。

海溝型地震は津波を伴うことが多いのです。プレートがぶつかりあう地形の特徴から、千島海溝、日本海溝、相模トラフ、駿河トラフ、南海トラフなどはとくに海溝型地震の発生の確立が高いとされています。

東北地方の太平洋沖に位置する日本海溝での地震については、三陸海岸は「津波常襲地帯」といわれるように、実際に「明治三陸地震津波」(1896)をはじめ、津波をともなう地震が繰り返されてきた歴史があります。吉村昭の記録文学作品に『三陸海岸大津波』(文春文庫 2004年)がありますが、ここには繰り返される三陸海岸を襲った大津波のリアルな記録が記されています。

このようなことから三陸海岸地域では、地震が来る、津波が来る、そのための備えをどこまで行うかということが常に問われてきたのです。

 

「3・11」の巨大地震は、このような点からみて、まさに起きるべくして起きたものですが、その規模の大きさがあまりにも大きかったのです。太平洋プレートと北米プレートの境界域になる日本海溝の、岩手県沖から茨城県沖にかけての南北約500km、東西約200kmに及ぶ広範囲で発生した地震とそれにともなう大津波により、大変な被害が出たのです。

地震の規模は「マグニチュード9.0」で、日本の観測史上最大規模でした。記録に残るものでは貞観地震(869)以来のものと考えられ、まさに「千年に一度の大地震」であったとみられます。地震の特徴としても、大地震が連動するものであったとみられます。

宮城県北部で最大震度7の揺れが観測されたほか、広い範囲で震度6レベルの揺れが観測されました。長時間の揺れであったことも特徴でした。

この日、私は現在の事務所の一階上の事務所にいました。「地震だ」と気づいてから、かなり長い時間、揺れ続け、ちょうど船酔いをしたような気分になりました。地震直後、同じようなことを言われた方が少なくなかったようです。

このような巨大地震にともない、大津波が発生しました。津波の高さは10メートルに及ぶもので、場所によってはもっと高いものになり、海岸からかなり内陸まで浸水させるものでした。

この結果、12都道県で22,000人もの死者(震災関連死をふくむ)・行方不明者が出たほか、建物の崩壊、液状化現象、農地の浸水、漁船や漁港の被害も大きかったようで、震災による直接的な被害額は16兆円から25兆円と試算されました。

「3・11」を前後して、前震、余震、誘発地震なども相次ぎました。連動して火山の噴火が起きるのではないかともいわれたものです。

つい先日、2月13日午後11時すぎに起きたマグニチュード7.1、福島、宮城で震度6強を観測した地震も、「3・11」の地震の余震に当たるものだとのことです。「10年も経って余震がおきるのか」とびっくりしましたが、「3・11」の巨大地震の規模からすると、こんなこともあるのだそうです。

 

「3・11」の巨大地震と津波について、外岡秀俊『3・11複合被災』(岩波新書 2012年)には、次のような解説がありました。

「三陸地方は、明治以降二回、大きな津波地震に襲われている。一八九六(明治二九)年六月一五日に死者・行方不明者二万二〇〇〇人を出した「明治三陸地震」と、一九三三年(昭和八)年三月三日に死者・行方不明者三〇〇〇人余を出した「昭和三陸地震」である。」

「将来の被害を想定する政府・防災会議の地震調査委員会は、二〇〇二年、日本海溝沿いのどの地域でも、「明治三陸地震」と同程度の津波地震が起きる、と予測していた。だが中央防災会議はこの予測をとらず、過去に起きた地震のみを参考に、三陸沖北部、宮城県沖、明治三陸タイプという三つの類型をあげ、個別に被害を想定していた。」

「ところが、実際に起きた東日本大震災は、「明治三陸地震」と、八六九年の「貞観地震」が同時に発生したほどの被害を引き起こした。前者は海溝付近で海底が大きく隆起し、破壊力のある高い津波をもたらす。後者は陸地寄りの海底が広範囲に隆起し、津波が長時間にわたって海岸から海岸から遠い陸地にまで押し寄せる。結果として、防災会議の想定は、あまりに低すぎることが明らかになった。」

 

また、河田恵昭『津波災害 増補版』(岩波新書 2018年)によると、

「東北地方太平洋沖の日本海溝では、東から押し寄せる太平洋プレートが東北地方を載せている北米プレートの下に、年間一〇センチメールずつ潜り込んでいることがわかっていた。そして、これが約四〇年継続し、累積潜り込み量が四メートル前後になると、二つのプレートの境界面ですべりが発生し、これがプレート境界地震を発生させてきた。一九三三年の昭和三陸地震がこれである。ところが、その三七年前に発生した明治三陸津波は、昭和三陸津波よりはるかに大きく、しかし揺れは小さかった。つまり、地震マグニチュードは六前後で、沿岸部の揺れも震度三から四であったことがわかっている。この地震は、後日、海底の土砂が大量かつ急速に深い海溝軸に向かって移動することによって起こる津波地震であることがわかった」

「東日本大震災では、このプレート境界地震と津波地震が連続して起き、二つの津波が重なって巨大な津波になったことが、海洋研究開発機構などの調査研究から明らかになってきた」

というのです。

 

「3・11」の巨大地震とそれにともなう大津波は、防災行政関係者にとっても、地震や津波の研究者にとっても、ある意味では「想定外」のことであったのであり、それがなぜ予知できなかったのかということもふくめてショックであったようです。

 

それでも、このような大規模な災害を通じて学ぶべきことは多く、その後、さまざまなことが語られるようになりました。

河田の前記『津波災害』についても、最初は2010年12月に出版されたもので、地震が来る、津波が来る、という警告は注目すべきものでしたが、その出版直後に「3・11」が起きたのです。『同 増補版』の「まえがき」で「本書の初版が刊行されて約三カ月後に、東日本大震災が起こった。本書で書いたことが現実に起こり、私は大きなショックを受けた」とのべながら、次に来る南海トラフ地震などへの警告をあらためて行っています。

 

私たちも、「3・11」に学び、大地震、大津波は一定期間ごとに発生するという立場が必要であり、経験と教訓を語り継ぎ、活かすことが必要です。河田が強調するように、「防災」はできなくても「減災」はできるのです。

地震への備えとして、住宅・建築物の耐震レベルの向上、災害情報(ハザードマップ)などの共有、避難ついての意識啓発、避難所の設営・運営の準備など、行うべきことを確実に行っていくことが必要です。災害廃棄物対策、感染症対策など、新しい課題もでてきました。

同じパターンの災害がくりかえされるわけではありません。未経験の災害への適応力が問われることになるのでしょう。

当面、リスクが高いとされている南海トラフ地震と津波についての備えが必要でしょう。また、京都でとなると、内陸型直下地震への備えが必要になることでしょう。

 

2 福島第一原発事故

 

「3・11」は、巨大地震とそれにともなう大津波だけではありませんでした。福島第一原発事故が発生し、かつてない規模の「複合災害」になったのです。

まず、福島第一原発事故の経過について、日本科学技術ジャーナリスト会議編『徹底検証!福島原発事故 何が問題だったのか』によってたどります。

 

3月11日

14時46分 巨大地震発生。稼働中の1、2、3号機は運転緊急停止。4、5、6号機は定期点検中。

15時27分 津波第一波(東電発表)    15時35分 津波第二波(東電発表)

15時37分 1号機、全交流電源喪失    15時38分 3号機、全交流電源喪失

15時41分 2号機、全交流電源喪失    19時3分  原子力非常事態宣言

20時ころ  1号機、メルトダウン開始(保安院発表)

20時50分 半径2km圏内に避難よびかけ 21時23分 半径3km圏内に避難指示

3月12日

5時44分  半径10km圏内に避難指示  15時36分 1号機、水素爆発

18時25分 避難指示区域を20kmに拡大

3月14日

11時1分  3号機、水素爆発       

22時10分ころ 3号機、メルトダウン(保安院発表)

22時50分ころ 2号機、メルトダウン(保安院発表)

3月15日

6時12分  4号機、水素爆発

 

この一連の経過について、福島民報社編集局『福島と原発』は次のように説明しています。

「「止める」「冷やす」「閉じ込める」が原発事故を防ぐ大原則である。しかし、東日本大震災ではマグニチュード9.0の巨大地震による大津波が福島第一原発を襲った。制御棒が炉心に挿入され「止める」機能は働いたが、全電源喪失で冷却機能が失われた。結果として漏れ出した放射性物質のもたらした被害は人々の生活を破壊した。」(同「編集後記」)

 

この原発事故をめぐっては、「政府事故調」「国会事故調」「民間事故調」「東電事故調」とよばれる4つの「事故調査委員会」が調査・検証にあたっています。それぞれの「調査報告」が出されていますが、福島原発で何が起きたのか、何が問題だったのかについて明らかにしきれなかったことがあるようです。4事故調査報告書の比較分析を行った前記『徹底検証!福島原発事故 何が問題だったのか』では残された検証作業の課題や問題点を指摘しているのですが、原発事故から10年たった今、これらの問題点が解明されたといえるでしょうか。

 

福島原発事故の規模としては、チェルノブイリにならぶ国際基準で「レベル7」とされたのですが、この事故の特徴について、大島堅一は、『原発のコスト』(岩波新書)第1章「恐るべき原子力災害」で次のように整理しています。

1 世界で初めて地震や津波によって起こった大事故である

2 事故を起こした原子炉の数が複数におよんでいる

3 事故の一定の収束に非常に長い期間を要している

4 被害地域の広域性

5 汚染の不可逆性 

また、同第2章「被害補償をどのようにすすめるべきか」では、事故被害を「事故費用」として取り上げ、金額として表せる部分だけでも膨大なものになるとし、損害賠償費用、事故収束・廃炉費用、原状回復費用、行政費用について「不明」分もふくめて、8兆5400億円余の金額を示しています。

これらの費用はいったいだれがどのように負担すべきなのでしょうか。当然ながら、東京電力に賠償責任があると思われるのですが、実際には東京電力の経営破綻の影響力の大きさからそれを防ぐことを最優先した方法がとられました。すなわち、原子力損害賠償支援機構のもとで作られた特別の損害賠償スキームによるもので、結局は、税金と電力料金によって、つまり国民の負担で被害者への賠償資金を確保していくというものだったのです。

関西電力だけとっても毎年315億円余の「原賠・廃炉等支援機構負担金」を費用として計上しています。それだけ消費者は電力料金を負担してきたということです。

 

『原発のコスト』は、原発事故直後に書かれたものですが、今日に至る問題の根本を抑えたものであったといえます。

「原発事故は、過去の環境問題に比して、桁違いの費用を発生させる。特に、放射能汚染による周辺住民への被害は極めて大きく、地域が丸ごと破壊されるというかつてない規模となっている。このような環境問題は日本史上なかった。この被害は、東京電力による放射能汚染がなければ発生しなかった一方的被害である。」東京電力はもとより、「株主、債権者をはじめとする関係者の責任と費用負担を不問に付したことは、事故にかかわる費用が判明するにつれ、より一層大きな問題となってくるであろう。事故原因の究明と関係者の責任のあり方を明らかにし、それに基づく費用負担を求めていくことが必要である」との指摘は、今日なお重要さを増しています。とりわけ、汚染水対策をはじめとする事故収束費用、いつまでかかるかわからない廃炉作業のための費用、使用済み核燃料の処理、放射性廃棄物の処理など、原発事故にともなう「負の遺産処理」のための巨額の費用負担のあり方は決して先送りできない課題だというべきです。

 

これらの問題を考えるうえで最大の問題は、原発は安全だと言い続け、必要な対策をとってこなかった東京電力の責任を明確にすることです。とりわけ、「津波常襲地帯」に原発を集中させながら、津波への備えをしてこなかったことは決定的な問題です。

 

 津波への備えが不十分だということは、福島第一原発の弱点として繰り返し指摘されていたのです。にもかかわらず、東京電力は必要な対策を怠ったのであり、東京電力経営陣の責任は重大だといわねばなりません。

 一般論として三陸沖の地震のリスクについては認識されるべきことですが、東京電力は、2000年代には具体的に津波対策の検討が求められる立場に置かれていたのです。

 添田孝文の『東電原発事故 10年で明らかになったこと』(平凡社新書)に従い、その経過をたどってみます。

2002年、政府の地震調査研究推進本部が「三陸沖津波地震確率20%」との警告を出したことにより、関連する原発についての津波対策状況の調査検討が行われています。

2004年にはインドネシア・スマトラ沖地震によりインドのマドラス原発が緊急事態を迎えたことをうけ、あらためて津波対策の検討が強調されるのです。

 2006年には保安院に溢水勉強会が立ち上がり、5月の研究会では「福島第一原発に高い津波がきた場合どんな事態になるのか」ということについて、東京電力側は「津波の高さが建屋のある敷地高10メートルを超えると・・・複数か所から海水が侵入し、全電源を失う危険性がある」と報告をしているのです。福島第一原発は、他のプラントに比べ津波による被害発生のリスクが著しく高いことは早くから関係者のなかでは共有されていたのです。

 2008年には貞観津波の研究成果をもとにした数値シミュレーションを行い、福島第一は炉心溶融を引き起こすとの情報さえ持っているのです。

 このように、この時期には、東京電力の実務レベルでは福島第一原発の津波対策の必要性を認識していたといえるのです。

他方、この時期、東北電力は貞観津波を視野に入れたバックチェックを行っています。日本原電は具体的な津波対策をとっており、そのことによって「3・11」でも被害を抑えることができたのです。

東京電力でも必要な対策をとっておれば「3・11」の被害を少しでも小さくすることができたはずです。にもかかわらず、東京電力経営陣は「対策の先送り」判断を続けたのです。

 その結果、「3・11」をむかえ、実務レベルで想定したように、巨大地震による大津波により海水が侵入し、全電源喪失、そしてメルトダウンという事態に立ち至ることになるのです。

 福島原発事故は「想定外」ではない、十分に予測できたことであり、必要な対策を怠った東京電力経営陣はその責任を取らねばならないのです。

 

福島原発事故をめぐっては、避難の問題、放射性物質をめぐる汚染の問題、放射線被曝の問題など多くの問題があげられます。これらの問題はまたあらためて検討することができればと思っています。

 

 

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