· 

レイチェル・カーソンの生涯と思想を語り継ぐ

レイチェル・カーソンの生涯と思想を語り継ぐ  「生誕100年」によせて

 原  強

 

1 「生誕100年」の年に

化学物質による環境汚染について警告した『沈黙の春』の著者であり、自然の神秘にふれ、その鼓動をきく喜びを語った『センス・オブ・ワンダー』の著者であるレイチェル・カーソン。

彼女は1907年5月27日、ペンシルベニア州のスプリングデールに生まれ、1964年4月14日、ワシントン郊外のシルバースプリングでこの世を去った。したがって、ことし2007年は彼女の「生誕100年」という節目の年にあたる。

海洋生物学者であった彼女は、科学者としての目と作家としての豊かな感性を生かし、海と海に生きる生き物を描いた「海」の三部作をのこしたが、何といっても『沈黙の春』を書いたことで歴史にその名をとどめた。『沈黙の春』はいまでは「環境問題の古典」としての評価を得ている。また、「最期のメッセージ」ともいうべき『センス・オブ・ワンダー』は「自然との共生」をめざす多くの人が読み継いでいる。

 ふりかえってみると、日本の社会では「知る人ぞ知る」という存在であったレイチェル・カーソンに光をあて、その役割をあらためて問いかけたのは1987年5月27日に大阪で開催された彼女の「生誕80年」を記念する集会だった。そして、その1年後、レイチェル・カーソン日本協会が設立され、関係者の情報交換の機会がふえ、市民向けの啓発行事が活発に行なわれるようになった。また、関連図書の出版も相次ぎ、次第にレイチェル・カーソンの名前が日本の社会に浸透していったようだ。

そして今、彼女の「生誕100年」の年をむかえ、レイチェル・カーソン日本協会では、5月27日、京都で開催される「記念のつどい」をコア行事としながら、各地で記念行事を企画・実施している。

 この機にあたり、「生誕80年」から「生誕100年」までの20年間、レイチェル・カーソンを語り継ぐ活動を担ってきた者のひとりとして、あらためてレイチェル・カーソン研究の現状や課題をまとめてみることにする。

 

2 読み継がれてきた『沈黙の春』

レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(原題Silent Spring)が雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたのは1962年6月のことでした。『沈黙の春』は、当時、「奇跡の化学物質」とよばれたDDTなどの農薬・殺虫剤がとめどなく使用されるならば、自然の生態系、さらには人間の健康にまで重大な影響を及ぼしかねないと鋭く問いかけるものだった。

『沈黙の春』の出版の反響は「沈黙の春が騒々しい夏になった」と報じられたようにとても大きく、のちにこの本は「アメリカを変えた本」といわれるほど影響力の大きいものだった。その主張は、賛否両論が渦巻くなか、ケネディ大統領の命によって設置された「科学諮問委員会」の認めるところとなり、やがて危険な農薬の使用規制にむかうことになる。

『沈黙の春』は、日本では、1964年、『生と死の妙薬』という書名で新潮社から青樹簗一の翻訳により出版された。それ以来、『沈黙の春』は、実に多くの人が読み継いできたものだが、時代の移り変わりとともに読み方が変わってきたようだ。

『沈黙の春』を最初に手にした人たちは原書または『生と死の妙薬』で読んだ人たちで、研究者、政府関係者、農業関係者など、農薬問題について関わりのある、専門性の高い人たちであったといえる。『沈黙の春』の警告をいかにうけとめるか、農業政策や農薬政策との関わりで専門家集団のなかでの討議がすすめられたのである。

1974年になって新潮文庫版の『沈黙の春』が出版される。このとき、文体もカタカナ混じり文から現在読まれるものに変わった。新潮文庫版が出たことによって読者の層に広がりがみられるようになる。

当時は、安全なたべものを求める消費者・市民のなかで有機農業に対する関心たかまり、多くの人が有吉佐和子の『複合汚染』を手にした時期だ。『複合汚染』のなかでレイチェル・カーソンと『沈黙の春』が紹介されていることから『沈黙の春』を探し求めたという消費者グループのリーダーは少なくないようだ。この時期においては、『沈黙の春』は農薬問題を理解するテキストとして読まれた。

1980年代はじめ、日本の消費者のなかで、輸入食品の安全性が問題になった。また、「83全国農薬集会」、IOCU嵐山セミナーなどで、日系企業のアジア進出現場での問題や「農薬のブーメラン現象」など国際的な視点もまじえ、農薬による食品汚染や環境汚染の問題がとりあげられた。農薬問題が消費者問題としてうかびあがるなかで、『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンに光をあてようという前記の「生誕80年」事業が消費者団体のリーダーの側からよびかけられ実施されたのである。

1980年代の後半になって環境問題が論じられるようになる。この時期になると、『沈黙の春』も「環境問題の古典」としてとりあげられるようになる。そして、1990年の「アースデー」から1992年の国連環境開発会議(地球サミット)に向かって地球環境問題がブームになる。このなかで、多くの人が『沈黙の春』を手にした。

「長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり<人も行かない>が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。」

これは『沈黙の春』の最後の章の書き出しにある言葉だが、この時期、地球環境問題との関わりでこの言葉がさまざまな場所で使われたものである。

また、ゴルフ場の乱開発問題に直面した地域住民のなかで、ゴルフ場の農薬多用による環境問題を説明するときに『沈黙の春』はよく引用された。

また、1996年、シーア・コルボーンらの『奪われし未来』が出版され(日本語版は翔泳社、1997)、「環境ホルモン」の問題が焦点になるなかでは、「『沈黙の春』から『奪われし未来』へ」といわれるように、化学物質による環境汚染問題のテキストとしてあらためて読まれたものである。

20世紀から21世紀に変わる時期、「20世紀論」がにぎやかだったが、そのなかで『沈黙の春』の著者としてレイチェル・カーソンがとりあげられることがしばしばあったことも記憶に新しい。

 

3 『センス・オブ・ワンダー』と新たな読者の広がり

1991年、『センス・オブ・ワンダー』が出版される。『センス・オブ・ワンダー』は、最初、1956年に『ウーマンズ・ホーム・コンパニオン』という雑誌に掲載されたエッセイをもとに、彼女の死後、一冊の本に編集されたものだ。メインの別荘を舞台に、姪の子ロジャーとともに体験した自然の鼓動にふれる喜びを伝えるこの作品は、彼女の「最期のメッセージ」として多くの読者のこころをとらえた。

『センス・オブ・ワンダー』は、日本では、最初、佑学社から出版されたが、出版社の事情で、1996年、新潮社からあらためて出版されている。

彼女は、子どもたちが本来もっている「センス・オブ・ワンダー=神秘や不思議さに目をみはる感性」をいつも新鮮なままたもちつづけるためには「私たちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります」と強調した。そして、子どもにとっても、親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないというのだ。

このような主張は、自然保護教育や環境教育の重要性を説く人のこころをとらえてはなさなかった。そして、いまでは『センス・オブ・ワンダー』は『沈黙の春』とともに自然保護や環境教育関係者、幼児教育者が必ず手にする本の一冊にまでなった。

また、『センス・オブ・ワンダー』は、2001年、映画化され、全国各地で自主上映された。映画全編を通じて、翻訳者である上遠恵子さんによって『センス・オブ・ワンダー』が朗読されるというこのドキュメンタリー映画は多くの観客を得ることができた。そして、このとりくみのなかでレイチェル・カーソンに出会ったという市民も少なくなかった。また、この映画上映会でつくられた地域のネットワークが、その後、地域の環境活動のなかでさまざまな役割を発揮している。

『センス・オブ・ワンダー』によってレイチェル・カーソンのイメージは「農薬問題を鋭く告発した人」であるとともに「自然と生き物をこよなく愛した人」というように大きく広がった。また、彼女が『沈黙の春』を書いた基礎には『センス・オブ・ワンダー』で「神秘さや不思議さに目を見はる感性」とのべられる「センス・オブ・ワンダー」があったのだという理解も広がった。

 

4 最近の研究成果から

この間、レイチェル・カーソンの生涯や思想について、多くの人の手により研究がすすめられ、数多くの成果をあげてきたといえる。

彼女の伝記研究についていえば、上遠恵子著『レイチェル・カーソン その生涯』(1987、のちにかもがわ出版刊、1993)やポール・ブルックス著『レイチェル・カーソン』(上遠恵子訳、新潮社、1992)などが基礎資料とされていたが、この間、これ以外に何種類もの伝記が出版され、簡単に彼女の伝記を手にすることができるようになった。最近の出版物としてはアーリーン・R・クオラティエロ著『レイチェル・カーソン』(今井清一訳、鳥影社、2006)などをあげることができる。

この間の伝記研究の成果として特筆すべきものは、何といってもリンダ・リア著『レイチェル』(上遠恵子訳、東京書籍、2002)の出版である。

リンダ・リアはジョージワシントン大学で環境史を講義するなかで、レイチェル・カーソンに関する資料が少ないことに気づき、10年余りの歳月をかけてこの作品をまとめたという。この作品は、実に本文700ページ、それに膨大な注、索引がついている大著で、いわばレイチェル・カーソンの「百科事典」ともいえるものだ。読者によってはそこまで知りたくないという声があがりそうな家族の確執や、彼女の闘病生活にいたるまで細かく紹介しているもので、おそらくこれ以上の伝記はこんご出ることはないといわれるものだ。したがって、レイチェル・カーソンの伝記研究では、この作品をいかに活用するかということが問われることだろう。

いっぽう、レイチェル・カーソンの作品についてもリンダ・リア著『レイチェル』の副産物とでもいうべき、レイチェル・カーソンの遺稿集『失われた森』(古草秀子訳、集英社、2000)によって、これまで知られていなかった書簡、講演録等がいくつも読めるようになったこともありがたいことである。

残された課題としては、レイチェル・カーソンがメインの別荘で知り合った友人ドロシー・フリーマンとの間でやりとりした往復書簡集『Always,Rachel』の日本語訳である。これは、原書で500ページを超えるものであり、日本の出版事情からすれば普通ではとても出版できないようなものだが、レイチェル・カーソンの伝記研究をすすめるうえでは手元にあってほしい文献である。近い将来、翻訳・出版されることを期待したいものだ。

また、彼女が、アメリカの自然保護思想や環境保護運動のなかでどのような位置にあるのか、「カーソンの先駆者」、そして「カーソンの後継者」という視点からの論点整理もすすめられてきた。彼女の思想の源流としては『森の生活』で知られるソローなどに端を発し、ジョン・ミューアやアルドー・レオポルドなどに連なるナチュラリストの系譜をたどることができる。

このような点を学ぶという意味では、最近、ポール・ブルックスの『自然保護の夜明け』(上遠恵子訳、新思索者社、2006)が翻訳・出版されたことを紹介しておかねばならない。これは長年翻訳が期待されていたもので、カーソンの源流を知るための良書だ。何よりも同じ時代を生き、『沈黙の春』の編集者としてカーソンを一番良く知るポール・ブルックスの手によるものであり、ぜひ一読していただきたい。

「生誕100年」を記念する出版物としては、5月27日の彼女の誕生日を前に出版できるようにと編集作業がすすめられている『レイチェル・カーソン』(上岡克己ら編、ミネルヴァ書房)をあげることができる。日本協会関係者に加えて文学・環境学会関係者など12名の論稿をまとめたもので、新しい研究課題意識がよびおこされる出版物になりそうです。日本でもネイチャー・ライティング研究が盛んになり、これまであまり紹介されてこなかった「海」の三部作などの研究成果を生かした論稿など、ぜひ注目していただきたい。

 

5 「生誕80年」から「生誕100年」へ

『沈黙の春』出版からいえばもう45年になる。「十年一昔」という言葉があるが、仮に10年をもって「一世代」というならば、すでに日本では何世代ものレイチェル・カーソンの読者層が形成されてきたことになる。そして、それとともにレイチェル・カーソンが日本の社会でひろく浸透してきたということができる。

 このような視点から考えてみると、レイチェル・カーソン日本協会の設立の契機となった「生誕80年」事業は、いわば「初期の世代」の問題意識、すなわち農薬問題やたべものの安全性という視点から発案されていたことがあらためて思い出される。

1987年5月27日に開催された「生誕80年記念集会」のプログラムを見直すと「農薬などの化学物質による環境汚染、しのびよる生命の危機――「沈黙の春」は終っていない」とのテーマのもとに福島要一、中南元、野村かつ子の三氏がパネラーとなったシンポジウムと、アメリカからのゲストであったジェイ・フェルドマン氏の農薬規制をもとめる記念講演が柱になっていた。

それから1年後、1988年5月27日にレイチェル・カーソン日本協会が設立されるが、それを前後して国際的に地球環境問題がクローズアップされるようになる。

「生誕80年」の年、1987年、国連のもとに設置された「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)の報告書が発表される。この文書は「持続可能な開発」(Sustainable Development)概念を示したもので、その後の地球環境問題を検討するうえでベースになったものだ。このようななかで、日本協会の最初の企画となった1989年5月27日の「生誕82年集会」ではテーマが地球環境問題となり、末石富太郎氏の講演「世界は警告する――我ら共有の未来」、石弘之氏の講演「地球汚染の現状と未来」を柱にプログラムを構成している。また、その年、地球環境問題の国際シンポジウムが企画されますが、日本協会も積極的に参画している。

このように日本協会が関わる企画について考えても、農薬問題やたべものの安全ということから地球環境問題へと問題意識が急速に展開していることがわかる。

それ以後、日本協会では「『沈黙の春』出版30年」「歿後30年」「生誕90年」「『沈黙の春』出版40年」「歿後40年」など、節目の年ごとに様々なテーマで全国行事を企画・実施してきた。このなかで、レイチェル・カーソンの読み方も広がり、「新たな世代」の読者層が形成されてきたといえる。

学校教育の現場でも教材のなかにレイチェル・カーソンが登場することにより、次代を担う若者たちのなかにレイチェル・カーソンが広がっていることも心強い限りである。

可能であれば、大学教育などでは『沈黙の春』を真正面から読む授業が行なわれることを期待する。私の体験でも、『沈黙の春』を苦労しながら最後まで読み通してはじめてレイチェル・カーソンの思いがわかったという学生に出会うことがしばしばある。成長期にある学生が、困難ななかで『沈黙の春』を書き上げていったレイチェル・カーソンをまるごと理解することは、将来、必ず役に立つにちがいない。

「生誕100年」を迎える今、この間に形成された重層的な読者の問題意識を反映し、レイチェル・カーソンの読み方はより多彩なものになっており、彼女の生涯や業績から何を学び、何を語り継ぐべきなのかという点でも多様なアプローチがされるようになっている。まさに過去から未来へと、時代が変わるにともない、レイチェル・カーソンの読み方、感じ方も変わっていくことだろう。私自身も「生誕100年」を機に、新たな思いでレイチェル・カーソンを読み、語り継いでいく活動をすすめていきたいと思っている。

 

 

<注>この記事は、2007年、レイチェル・カーソン生誕100年記念事業の中で、生協総合研究所の雑誌『生活協同組合研究』5月号に投稿したものです。

レイチェル・カーソン日本協会

関西フォーラム

 

〒603−8242

京都市北区紫野上野町24番地の2 原 強 気付

TEL/FAX:075−354−6637

E-mail:jrcc-thara@ab.wakwak.com