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レイチェル・カーソン研究の課題

レイチェル・カーソン研究の課題

 

レイチェル・カーソンは、1964年4月14日、『沈黙の春』が投げかけた波紋が広がるなかで、この世を去った。

彼女の『沈黙の春』の出版は、20世紀をふりかえるとき、忘れることのできない画期的な出来事であった。環境倫理関係者のテキストとして知られるロデリック・F・ナッシュの『自然の権利 環境倫理の文明史』は、その歴史的意味を次のようにのべている。

「カーソンの『沈黙の春』(1962年)の出版は、生態学的思考の発展において画期的な出来事であった。そして、新しい環境主義を加速させ、それまででもっとも多くの人々に環境倫理学について考えさせた本であった。」「カーソンは1960年代のアメリカの大衆に生態学的展望とその倫理的な意味とは何かを示す道案内人となったのである。」

まさに『沈黙の春』は、「アメリカを変えた本」(ロバート・B・ダウンズ)というにふさわしい、アメリカ社会に大きなインパクトを与えたのである。

しかしながら、レイチェル・カーソンについての研究、普及紹介は、十分されてきたとはいえない。『沈黙の春』についても、多くの読者をもっているはずであるが、本格的な研究がされているとはいえない。見田宗介が『沈黙の春』を環境問題、公害問題の「古典」と位置付けながら、「「古典」という扱われ方は、だれでもその書名をよく知っている割合には、現在ではその内容を必ずしもきちんと読まれていないということでもある」といっているのは、まことに興味深い指摘である。

たしかに、彼女がその危険性を指摘したDDTやBHCなどの化学物質の多くは、今日では規制されており、彼女の警告は過去のものという面もあるであろう。しかし、20世紀をふりかえり、21世紀を「環境の世紀」にしようと考えるとき、『沈黙の春』が問いかけたものを再確認し、それを指針にしながら、あらたな展望をえがくということがもとめられるのではないだろうか。また、レイチェル・カーソンの生涯や思想についても総合的に検討し、未来に向かって何を語り継ぐのかを明らかにすることも必要なことであろう。

本稿では、この間のレイチェル・カーソン研究の成果を整理・確認しながら、より本格的な研究をすすめるうえでのこんごの課題意識をまとめるようにしたい。

 

1 伝記研究

 

レイチェル・カーソンの生涯については、かつてはポール・ブルックス著・上遠恵子訳『生命の棲家』やフランク・グレイアム・ジュニア著・田村三郎・上遠恵子訳『サイレント・スプリングの行くえ』が限られた伝記であり、しかも、いずれも絶版になり、入手することすら困難であった。したがって、彼女の生涯については、『沈黙の春』の著者という以上には、あまり知られていなかったのである。

1987年5月、レイチェル・カーソン生誕80年事業のなかで、上遠恵子著『レイチェル・カーソン その生涯』が出版され、『生命の棲家』もようやく1992年になり『レイチェル・カーソン』と改題・復刊され、彼女の生涯についても、簡単に知ることができるようになったのである。

その後、レイチェル・カーソンの伝記は何種類か出版されたが、彼女の伝記の代表的なものをあげるとすれば、上遠恵子著『レイチェル・カーソン その生涯』(かもがわブックレット)、ポール・ブルックス著・上遠恵子訳『レイチェル・カーソン(旧題『生命の棲家』)」(新潮社)、ジンジャー・ワズワース著・上遠恵子訳『レイチェル・カーソン』(偕成社)などである。

また、太田哲男著『人と思想 レイチェル・カーソン』(清水書院)という研究成果も出ている。伝記研究にも、『沈黙の春』をはじめとした作品研究にも、欠かせない文献である。

現在、リンダ・リアの大著『Witness for Nature』が翻訳中であるが、出版されれば、レイチェル・カーソンの伝記の決定版になるであろうと期待される。また、彼女がドロシー・フリーマンとの間でやりとりした書簡集『Always,Rachel』も基調な資料である(現在は英語版しかない)。

このように、この間、貴重な原資料がほりおこされてきたこともふくめて、レイチェル・カーソンの生涯をさまざまな角度から明らかにすることができるようになったといえる。こんごさらに資料発掘がすすむことを期待したいが、少なくともこの間の成果をふまえ、より豊かなレイチェル・カーソン像をうかびあがらせ、定着することが必要である。

また、テレビ番組『知ってるつもり』でレイチェル・カーソンがとりあげられて以来、テレビ番組でもレイチェル・カーソンの生涯を紹介する映像ものもいくつか制作されてきたが、さらに現地取材もふくめ、レイチェル・カーソンの生涯を映像で紹介する本格的な企画を期待したい。

 

2 作品研究

 

レイチェル・カーソンの作品は、『潮風の下で』(Under the Seawind、1941年刊)、『われらをめぐる海』(The Sea around Us、1951年刊)、『海辺』(The Edge of the Sea、1955年刊)という海に関する三部作、それに『沈黙の春』(Silent Spring、1962年刊)、彼女の「最後のメッセージ」とされる『センス・オブ・ワンダー』(The Sense of Wonder、1965年刊)を加えて5つである。最近、リンダ・リアの編集による『失われた森』(Lost Woods、1998年刊)が出版された(古草秀子訳、集英社)。これを加えても、彼女の作品はごく限られたものである。幸い、原書も入手しやすくなったし、すべて日本語訳も出ている。これらの作品から、彼女の感性や思想、彼女が問いかけたことをつかみとり、彼女から何を学び、語り継ぐのかを明らかにする作業が必要である。

海に関する三部作については、レイチェル・カーソンの文学的な感性と科学者としての観察力が結合したものであり、いずれも読み物として優れており、それぞれベストセラーになったものである。『潮風の下で』は、1941年11月に出版された。この作品は、月刊誌『アトランテイック』に掲載された『海のなか』を目にしたサイモン・アンド・シャスター社の編集者クインシイ・ホウなどのすすめで出来上がった作品である。出版直後は、世間から冷たく扱われたが、1951年に『われらをめぐる海』が出版されたのを機に再販され、いずれもベストセラーになったのである。『われらをめぐる海』は博物学の分野で傑出した文学的特質をもつジョン・バーロウ・メダルを受賞したのをはじめ、全米著作賞を受賞するなど、高い評価をうけ、「海の作家」としてのレイチェル・カーソンの評価を得たのである。『海辺』は、ポール・ブルックスのすすめにより執筆したもので、1955年に出版された。ボブ・ハインズの豊富な図版とあわせて、海の生き物たちを筆致こまやかに描き出している。これらの海に関する三部作については、読者がそれぞれにレイチェル・カーソンが海と、海の生き物たちによせた思いを読み込んでいけばよいのであるが、海と、海の生き物についての最低必要とされる知識をまとめたビジュアルな手引き書があると便利であろう。

『沈黙の春』については、1962年6月に『ニューヨーカー』に発表され、その9月に単行本として出版されたものだが、発表と同時にたいへんな反響をよんだものである。『沈黙の春』が問いかけたことは、農薬や殺虫剤等の化学物質がとめどなく使用され続けるならば自然の生態系はどうなるのか、生物は、そして人類の未来はどうなるのかということであった。この問いかけの意味は、DDTなど農薬や殺虫剤が大量に使用されていた時代背景を考えると、きわめて重かったのである。そして、今日においても、その問いかけの意味は、目の前にある事象は変わっても、変わらないというより、さらに重く、深いものになっている。『沈黙の春』の作品研究の課題としては、『沈黙の春』に書かれたこと自体をそのまま理解するだけでも、当時の社会背景を理解することはもとより、農薬問題をはじめ幅広い知識や情報を必要としており、はじめて読む人にたいする手引きを整備することが必要とされるであろう。さらに、レイチェル・カーソンの問いかけを現代にひきよせて理解し、生かしていくという点では多様な展開が考えられる。

『センス・オブ・ワンダー』については、レイチェル・カーソンの「最後のメッセージ」として、最近、ひろく読まれるようになった。この作品は、最初、『ウーマンズ・ホーム・コパニオン』という雑誌に掲載されたものだが、1965年になってから、すなわち、レイチェル・カーソンの死後、出版されたものである。この作品については、彼女が、この作品のなかで、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと指摘しているように、読者自身が自らの感性をフルに生かして読み、味わい、生命の鼓動をききとることができればよいのであろう。作品研究としても、最低必要な情報を提供することができればよいのであり、むしろいかに感動を分かち合うかということが問われるのであろう。

 

3 環境保護運動思想史や環境保護運動史におけるレイチェル・カーソンの位置付け

 

レイチェル・カーソンが、アメリカの自然保護思想や環境保護思想をどのように継承し、あらたに展開したことの意味はいかなるものか、また、その思想はどのように環境保護運動に影響をあたえ、現代に継承され、生かされてきたのかを解明することは、レイチェル・カーソンの理解をより深めるためにも必要な作業である。

レイチェル・カーソンの源流を探るということになれば、エマーソンやソローに端を発して以降、ジョン・ミューアやアルドー・レオポルドなどに連なる、ナチュラリストの系譜をたどることになる。それぞれの思想と実践、自然保護活動などについて、おおよそのことでも確認しておくことはレイチェル・カーソンを理解するうえで必要なことであろう。また、アメリカのナチュラリストではないが、レイチェル・カーソンの思想に大きな影響を与えたアルベルト・シュヴァイツアーの「生命への畏敬」という思想についても、最小限のこととはいえ、確認しておかねばならないであろう。

レイチェル・カーソンのよき理解者であり、同時代を生きたポール・ブルックスの著書『Speaking for Nature』は、日本語訳がないのが残念だが、ある意味ではレイチェル・カーソンの思想の源流をたどる手引きになるものであるといってよい。

アメリカを中心に自然保護思想や自然保護運動について理解するうえでは、岡島成行著『アメリカの環境保護運動』(岩波新書)、ナッシュ著『自然の権利-環境倫理の文明史』(TBSブリタニカ)、ジョン・マコーミック著『地球環境運動全史』(岩波書店)など、すぐれた解説書や研究成果がではじめている。

また、最近では、文学環境学会編『たのしく読めるネイチャー・ライテイング』(ミネルヴァ書房)、トーマス・J・ライアン著・村上清敏訳『この比類なき土地』(英宝社)など、ネイチャー・ライテイングの歴史のなかでレイチェル・カーソンをどのように位置付けるのかという研究も成果をおさめている。長年、ソローの研究をしてきた上岡克巳は、前記のポール・ブルックスの著書を手がかりにしながら、「カーソンの先駆者」「カーソンの後継者」という視点で、ネイチャー・ライテイングの系譜をたどっている。

 レイチェル・カーソンの、とりわけ『沈黙の春』の出版の意義については多くの論者が指摘しているところである。たとえば、石弘之は「環境問題の歴史を語るときに、この本の出版された1962年をもって、20世紀最大の環境思潮の一つに数えられる「環境主義」のはじまりとして時代区分されるほど、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は強大な影響を残した」と論じている。(『20世紀の定義』9「環境と人間」)

 ここで強調されるように、『沈黙の春』から「アースデイ」にいたる8年余の間に、環境保護運動は大きな変化をとげている。その変化の内容を正確に把握することもふくめて、『沈黙の春』の出版から何がはじまったのか、そして、その後の環境保護運動のなかで彼女の生涯や思想がどのように語り継がれ、生かされているのかを明らかにすることも、今日の環境問題を論ずるうえで基礎的な作業のひとつになるのではないか。

 

4 レイチェル・カーソンの思想を現代に生かす

 

最後に、レイチェル・カーソンの思想を現代に生かすという点であるが、この点については、実に多様な可能性があるといえる。

彼女が『沈黙の春』でとりあげたことは、直接的には、農薬が大量に、しかも無差別に使用されつづけたとき、自然の生態系がどうなるのか、そして人間の生命はどうなるのかということであったが、その問いかけは、現代的に考えれば、実に幅広い、多様な問題を投げかけているということができるのである。

農薬問題との関係だけとっても、個々の農薬の安全性に関する問題もひきつづき検討課題である。また、有機農法や減農薬農法など、農薬にたよらなくてもできる農業のあり方を追求するさまざまな実践がある。害虫防除についても、化学的な防除方法にかわる生物学的な防除方法についての研究も続けられている。他方では、害虫の耐性という問題は、深刻な、今日的問題になりはじめている。

環境汚染物質全般に関わっても、『奪われし未来』が投げかけた環境ホルモンやダイオイシンに関する問題など、より広範な、そして深刻な問題が目の前にあるといわねばならない。

さらには、今日、環境問題全般との関係でも、科学技術文明や環境倫理に関わっても、20世紀論(21世紀論)に関わっても、多くの問題が投げかけられているのだが、これらの問題に立ち向かうとき、レイチェル・カーソンの思想は、さまざまな領域において未来への指針となりうるものであるといってよいのではないだろうか。

「私たちの住んでいる地球は自分たち人間だけのものではない」

「自分たちの扱っている相手は、生命あるものだ」

21世紀を「環境の世紀」とし、人間が自然とともに、そして、さまざまな生き物とともに生きていくためには、このような、レイチェル・カーソンの「知恵」と「認識」を、おたがいに分かち合うことが必要なのだろう。

レイチェル・カーソンの生涯と思想を語り継ぐこと、それは、私たちが次の世代にむかってひきつぐ「未来へのバトン」である。(原  強)

 

※この記事は、2001年11月発行の『「沈黙の春」の40年』の第3章として公表されたものです。本来はその後の研究成果を加味したものにすべきですが、そのまま掲載させてもらいます。

※文中のリンダ・リアの『Witness for Nature』は2002年に上遠恵子訳で『レイチェル』の題名で日本語訳されています。同じくポール・ブルックスの『Speaking for Nature』についても、2006年に上遠恵子・北沢久美訳『自然保護の夜明け』として日本語訳されています。

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